〜インディアンとは〜
インディアン、と聞くとインドの人を思い浮かべるでしょう。
それは半分イエス、半分ノーです。
なぜなら、インディアンとはコロンブスがインドだと勘違いした土地の原住民の事だからです。コロンブスが到着した新大陸。そこは後のアメリカです。
しかしコロンブスはアメリカをインドだと勘違いをしているため、アメリカ人をインド人だと解釈、『インディアン』と呼んでいるところから定着し、アメリカの原住民のことも『インディアン』と呼ぶようになったのです。
つまりはアメリカの土地に元から住んでいる人のことです。もちろんインドに住んでいる方もインディアンですが、最近はアメリカに元々住んでいる人のことは『ネイティブアメリカン』と呼ぶことが多いですね。
ニュアンスは『インディアン』の方がしっくりくると個人的には思っています。
1768年、つまり宣教師達が来るまでは人口なんと30万人、100部族以上あったとされています。しかし大量虐殺されて、人口はかなり少なくなってしまいました。
1832年までに、8万人以上のインディアンが洗礼されたのこと。
生存しているインディアンの方が残した本もあるようです。
伝道所ができたとき、原住民の人々は主に農業へ駆り出されました。地域によっては、漁もしていました。他にも、鉄で武器などを生産する『Black Sumith』など、伝道所やスペイン人の為に強制労働させられていました。伝道所の農業は、全て原住民の方が労働力でした。ですが、伝道所で収穫された作物は原住民の人々に渡ることはなく、原住民の人々は別の位置で農業をしていました。
伝道所自体の収穫量が少なかった場合は、原住民の人々の収穫から取り上げ、逆に収穫量が必要以上にあった場合は、原住民の人々御構い無しで他の国へ売る、等。それこそ道具のように使っていました。
インディアンの人々は、最低限の狭いシェルターが与えられ、伝道所の近くで生きていました。伝道所自体に住んでいた人もいたようです。
インディアンの中でも、チュマシュ族というアメリカ南部に生存しているごく少数の部族が存在します。少数とはいえど、カリフォルニアの原住民では最大の、力が強かったグループでした。主に雨のよく降る地域にいます。言語はSamala語を使っていました。
人口が最大なのはOhlone(オーロン)族で、南の位置にあるカーメル・ミッションの周りに住んでいました。5つの村があり、Rumusen(ルムセン)語を使っていました。
言語は、村や一族によって違うので、言語によって住む地域は別れていました。