editor/ 4月 27, 2019/ 各伝道所の詳細(訪問記), 教会

Mission San Antonio de Padua

ミッション・サン・アントニオ・デ・パドゥア

 この伝道所は、1771年7月14日にセラ神父が設立したもので、21カ所の伝道所の中では、設立順では3番目、北から数えて10番目です。

 ここでは、Salinan(サリナ)という、海岸の中心あたりと川の近くにいるアメリカ原住民がいました。サリナは、独自の言語を使っていましたが、50年ほど前にサリナ語は使われなくなり、現在では700人しか存在しません。

 サンアントニオは、ほかの伝道所と比べて発達が早く、ほかを率いるなどしていました。

 しかし、1774年、雨が作物を作るには少なすぎたため、3マイル(約4.8km)離れた場所から水を買っていたようです。1776年には、『Juan de Anza(フアン・デ・アンザ)』(1736〜1788年)が240人の仲間を連れて訪問し、メキシコからカリフォルニアに道を開きました。

 1820年では、羊を10000匹以上飼育していたとのこと。ほかの家畜は合計で800頭ほどです。1858年には約0.1km2もの土地を売り、その少し前の1851年では神父『Doroteo Ambris(ドロテオ・アンブリス)』(????〜1882年)が伝道所に引っ越してきて、少ない人口の原住民に、死ぬまで仕えました。その期間なんと30年。1851〜1882年までです。この人が最後のサンアントニオ居住者でした。

 このミッションで一番個人的に好きなエピソードは、『Pieras Miguel Pieras(ピエラス・ミゲル・ピエラス)』(生没年不明)と『Antonio Sitjar(アントニオ・シトラ)』(生没年不明)が1794年までの23年間、一緒に仕えていたことですね。ピエラスがメキシコ帰省中の時も、アントニオは1808年まで使えていたそうです。二人で一緒に23年間勤めているっていうのは凄いですね。この伝道所は献身的な方々が多いですね。

 

〜外観〜

 

 ここは礼拝堂です。

ほかと同様に絵がストーリーとともに進むよう配置されています。

もちろん奥には祭壇が。

 

 

 

 ここは伝道所全体の正面です。

見ての通りレンガ製ですね。

 

 

 

 

ここはガーデンです。

他と比べると花がないですね…

でも枯れた感じもなんとなく好きです。

 

 

 

訪問日・2019年4月27日