Mission San Luis rey de Francia
ミッション・サンルイス・レイ・デ・フランシア
この伝道所は、1798年6月13日、フェルミン神父によって設立されました。設立順で18番目、北から数えて20番目です。
このあたりの地域に住んでいた原住民の人々は、『パヨムコミシュム(Payomkowishum)』と呼ばれていて、北部のサンディエゴと南部のオレンジカウンティー周辺にいました。当時の人々は小さな村で小規模な狩りや漁を行っていたようです。『ユートアステカン(Uto-Aztecan)』という言語を使用しており、現在生存しているのは40人ほどです。最も人口が高かった時は1826年で2826人で、家畜は5万頭を超えるなど、かなり栄えていました。
フランシアは発達が速く、伝道所周辺の原住民の人々の貢献が強かったこと、それに加え、サンディエゴの伝道所などから家畜などを受け取り、それらが発達に反映したようです。
フランシアの教会は、居住区、バラック、物置などは1798年に完成しました。この建築物には木材などが使用されていたようです。現在の教会は1811年から1815年の間に建てられ、1798年に設立されたものと置き換えられ、1829年にはドームが追加されました。
この伝道所のリーダーに割り当てられた人は『アントニオ・ペイリ(Antonio Peyri)』という神父で、33年間もアシスタンシアに仕え、退職した時は70歳でした。二つの伝道所をかけもちする神父はペイリ神父のみだったようです。
〜外観〜
伝道所の全体像です。
礼拝所です。
奥の方にドームなど、装飾品がたくさんありました。
当時の神父の人々の服装の再現です。
首回りは分厚く、帽子も被っているので日焼け防止でしょうか。