Mission Santa Clara de Asis
ミッション・サンタ・クララ・デ・アシス
この伝道所は1777年1月12日、神父の『Tomás de la Peña(トマス・デ・ラ・ペニャ)』(生没年不明)によって設立されました。設立順で8番目、北から数えて5番目、オーロン族の母国で建てられた伝道所の中では3番目です。
サンタ・クララという名前は、元は女性の祭司の名前でした。彼女の功績を認め、親愛を示してセラ神父が名付けたのです。女性の名前がついた伝道所は、ここが初めてでした。
現在、1777年設立された場所ではない、別の場所に伝道所があります。理由は、元々設立された場所が浸水してしまったので、1779年、もう少し標高の高い位置に再び設立しました。
ですが、1781年にも再び移動、1784年には瓦の教会も設立されました。この1781年に建てられた教会は1818年までは残りますが、地震による被害で破壊されてしまいました。
この後も2回移動し、4番目の場所と5番目の場所に設立された教会は、1825年に完成しました。
1795年、この伝道所の原住民の人口が最大だった時、1541人ほどが住んでいましたが、流行病と貧しさで激減してしまいました。農業は成功していたらしく、羊だけでも15500匹もほど飼育していたようです。
1836年、サンタ・クララは唯一地に足をつけた伝道所でした。そして1851年まで仕えていた神父の『Jose Maria del Real(ホセ・マリア・デル・リアル)』(生没年不詳)も最後のフランシスカン、つまりフランシスコのキリスト教徒でした。彼の一挙一動は毎回スキャンダルやトラブルの原因となっていましたが、それでも20年近く仕えていたそうです。
現在のサンタ・クララは、他の建物と同じ土地へ設立されており、面積はかなり広いです。が、伝道所自体の土地は1864年までにキリストの教会に返却することになりました。
〜外観〜
ここはサンタ・クララの全体を正面からとったものです。
現在大学などと合体しているので土地全体は広いのがよく分かります。
礼拝所とは個別で
作られた、
祈りを捧げる場所です。
イエス・キリストの彫刻が飾られていますが、傷口がナマナマしいのであまり直視すると夢に出てきてしまいますので気をつけて下さい。
十字架背負ってこっちに全速力で来ますよ。
ここは礼拝所です。
他の伝道所と比べても圧倒的に広いです。
壮大ですね。
訪問日・2019年6月22日