editor/ 6月 30, 2019/ オールドミッションって何?

 〜なぜ伝道所が必要だったのか&宣教までの経路〜

 先ほど説明したように、伝道所とは宣教のために造られたものです。なぜカリフォルニアへ宣教をしていたかというと、

 1492年、コロンブス(1451〜1506年)の新大陸発見以降、スペインはアメリカに興味を持ち、カトリック布教に熱を上げていましたが、カリフォルニアは地理から後回しにされていたそうです。

 しかし、ロシアのロシア探検家、ヴィトス・ベーリング(1681〜1741年)がアラスカに到着したことで、ロシアによるアメリカへの野心が判明し、そこで当時のスペイン王、フェリペ5世は(1683〜1746年)『カリフォルニア支配の必要性』を考え、宣教活動をすることでカリフォルニアを支配しようとしたのです。

 しかし、カリフォルニアとスペインは離れた土地のため、しっかりと腰を置くことが必要でした。そこで、何人かの宣教師たちを送り出し、伝道所で宣教活動をするように命じました。

 ここで送り出された宣教師たちは『イエズス会修道士』といい、バハ・カリフォルニア(アメリカのカリフォルニアと陸上で接するメキシコ領土)で15ヶ所もの伝道所を建設しました。

 ですが1767年、フェリペ5世の跡継ぎ、カルロス3世(1716〜1781年)がイエズス会修道士達を追放。しかし1768年、フニペロ・セラ(1713〜1784年)という宣教師の指揮でカリフォルニアへの布教を進めることが決定しました。

 そこでハバ・カリフォルニアの伝道所はドミニコ会に託し、1769年、グループに分かれて伝道所建設を目指しました。ここで主に二手に分かれます。一つがフニペロ・セラ率いる、サンディエゴへ向かうグループ。もうひとつはカリフォルニア総督、ガスバル・デ・ポルトラ(1716〜1786年)のモントレーを目指すグループです。

 1769年、セラが最初のカリフォルニア伝道所、サンディエゴ・デ・アルカラを建設し、ここから立て続けに合計21ヶ所の伝道所が建つことになります。

 一方1769年、モントレーに向かうガスバル総督率いる修道士たちは、道中で死にかけた二人の少女を発見し、修道士のフランシスコ・ゴメス(生没年不明)とフアン・クレスピが(1721〜1782年)『カリフォルニアで最古の洗礼』を施しました。記録に残っているのはこれが一番古いそうです。